発達障害と昔話
最近ツイッターやインスタ、Youtube等で発達障害、ADHD、ASD等のコンテンツをよく目にするようになりました。保護者・保育者それぞれの目線で描かれいて、普段知る機会のない保護者の本音や葛藤を垣間見れて、こちらとしてはとても勉強になっています。
気軽に触れられる機会が増えることで、カジュアルに相談できるようになればいいなあ。少なくとも私は気負わずに頼って欲しいなと思っています。でもそういう相談って保護者の方からすると本当にドキドキしてしまいますよね。
この機会にもっと発達に凸凹がある子どもへの認知や理解が進み、選択の幅が広がっていってくれることを願います。
ただ、特性を知ることはいいことですが、発達障害に違いないと思い込むことは危険です。
その子の傾向に合わせて環境を整えることと、障害と断定することは全く別のことです。
誰しもが1つはその特性を持っているので、ネットのチェック項目は生きやすくするためのヒント程度に思っていた方が良いと思います。
また発達に凸凹があっても、その子が生きていくうえで生きにくさや困りごとが無ければそれは障害ではなく、個性の範疇だと思っています。
気になることがあれば学校の先生でも、学校のカウンセラーさんでも、学童の先生でも誰でもいいので気軽に聞いてくださいね。答えは出ないかもしれませんが案外セオリーはありますのでヒントになると思います。
私の昔話
恐らく、私自身が自閉傾向があるタイプだったと思います。(診断を受けていないのであくまで記憶をもとにした自己分析です。)
そう思う要因はかなりあるのですが長くなるので省略します。
「変な子」「ひねくれ者」「天然」「頑固」「根性なし」「人の気持ちを考えない」・・・よく言われた言葉です。
今振り返ると確かになあ、と思うことはありますが、当時の私には何故それを言われているのか理解できず、何故なのか、どの辺りがそうなのかを周囲に聞いても「そういうところだよ」としか返ってこず益々不可解でした。
そんな中で、私を「ひねくれ者」「人の気持ちを考えない」子にした環境は何となく分かります。
私はがっしりした見た目のわりに運動音痴かつ手先が不器用です。
すごく運動が出来そうで手先も器用そうに見えたようで、出来ないと分かると明らかに期待はずれのような反応をされました。期待に応えようと自分としては一生懸命やるのですが思った通りに出来ず、相手が段々とイライラしているのが分かり余計に焦ってしまい、最後には投げ出してしまうことが多々ありました。
なので根性なしだなんだと叱られる機会も非常に多く、特に家庭では多かったと思います。
「〇歳なのにそんなことも出来ないの(知らないの)」「下手くそ」「もうあっち行ってて」
本来楽しいであろう母から料理を教わる場面も、馬鹿にされやる気をなくしていました。しかし母は急に私を呼び、煮物を作れ、教えてやる、そんなことも出来ないのかと繰り返しました。
運動に関しては言わずもがなで。
鬼ごっこで、鬼になると泣きながらやめる~と言い出す子いませんでしたか?それです(笑)
頑張って走ってもすぐ捕まるし、鬼になると誰も捕まえられないんですよね。
4~5歳時の自転車練習は特に覚えています。珍しく家にいた父が練習をつけてくれると言い嬉しかったのですが、当然転倒し上手くいきません。父はコツを教えるでもなく、ただ罵倒し、泣き出す私に「泣くな!」「根性なしが!」と怒鳴りつけ先に帰宅してしましました。後を追い帰宅すると「あいつはすぐに泣いた」という話を母と姉にし、とても恥ずかしい思いをしました。
自然と外で遊ぶ機会も減り、余計に運動音痴は加速していきました。
(高校生の時に自転車通学をするようになり、少しずつ運動機会が増え、大人になってからは子どもたちと遊ぶことで昔に比べかなり運動が出来るようになりました。楽しんで身体を動かすのって大事ですね)
馬鹿にされることに関しては、親戚からもありましたね。
体格について、根性なし部分について、出来ないことを馬鹿にされる、ちょっかいを嫌がると怒鳴ってくる等等等
本来保護してくるであろう大人から嫌なことをされ、私が嫌がり怒ると向こうは笑い、更に不快感を露わにすると「親に向かってなんだその態度は(その口の利き方は)」「調子に乗るな」と怒られていました。
この人たちは私が泣いて嫌がっているのにやめてくれない、嫌だと言ってもやめてくれないからそうしたのに、泣いているのに泣くことを怒られる、何故・・・
自分の気持ちを無視されてきたのに、他人の気持ちなんて考えるわけないですよね。
・やる気を出してもへし折られ、馬鹿にされる。
・辛い気持ちを理解して貰えない。
・嫌だという気持ちを否定される
・所詮出来ないので頑張る環境すら与えてもらえない。(←このことを言うと、途中で諦めてるんだから軽い気持ちだったんだ、本当にやりたいなら食らいつくはず、お前自身のせいだ、と言われました。)
これらが当時の私を「ひねくれ者」「人の気持ちを考えない子」にした一因だと思っています。
ただ、こういった経験があったからこそ同じような子どもに少しでも寄り添おうとすることが出来たと思います。
むしろ寄り添うことで過去の自分をケアしていたのかな。
子どもの自分に会えるのなら、いずれ優しい人に会えることを教えてあげたいな。
子どものトラブル
学童で働いている際に必ず遭遇する子どものトラブル。
いたずら、ルール違反、子ども同士のトラブル、はたまた子どもと職員のトラブル等々・・・
それぞれに対応する際、特に意識していたことをまとめます。
- 大前提
- 事実確認
- 何故それをしたのか
- 個人を否定しない
- 叱る時間は短く
- 1回で理解させようとしない
大前提
感情的にならないように常に自分の感情はコントロールしていました。
意図的に感情を発露させることがあっても、よっぽど命の危険等がない限りは感情のままに叱らないように気を付けていました。
(発露させることがあれば、仲間にフォローアップもお願いしていました。)
①事実確認
まずなにが起こったか(起こっているのか)を確認します。
子ども達には「ここで怒りたいわけじゃなくて、何が起こっているか知りたいから教えてくれる?」と聞いていました。
事情聴取の際、本人は怒られることを避けるため嘘をつくことがありますが、それはそれとして「その子が話す事実」として聞きます。
客観的事実を保つために場合によっては第三者にも事情を聞くことがあります。
事実が難解で、本人にも分かっていない場合等は図解することもありました。
あくまで「事実確認」なのでここでは感情を入れずに淡々とし、決して叱りません。
②何故それをしたのか
事実確認と合わせてですが、個人的にはこの理由が一番重要だと思います。
例えばAさんがBさんを叩いたとして、
・Aさんはただ何となくBさんを叩いた
・AさんはBさんに執拗に悪口を言われ耐えられず叩いた
同じAさんがBさんを叩いたでも状況が全く異なります。
また、Aさんがとんでも理論でBさんを叩いていたとしても、これもその子の事実として一旦は聞きます。
③個人を否定しない
このあたりから「叱る」ターンになってきます。
行為の否定+してはいけない理由+代替行為を合わせて話します。
叩いたという行為だけを否定し、叩いてしまったAさんそのものは否定しません。
例Ⅰ)叩いてしまうAさんは人間の屑だね、そんなんだと友達いなくなるよ←人格否定
例Ⅱ)いくら腹が立っても相手を叩いてはいけない。相手が怪我をしてしまうとあなたも傷ついてしまうから。まずは言葉で相手に伝えよう。←行為の否定+してはいけない理由+代替行為
④叱る時間は短く
理想は5分、長くても15分。私はこれが一番難しかったです・・・
長い話って大人も聞きたくないですよね。もちろん子どももそうです。
長ければ長いほど「早く終わってくれ~」と思い適当なことを言い出したりします。
端的に!短く!
⑤1回で理解させようとしない
そもそもですが1回できく子はいません。それだけで改善されたら奇跡です(笑)
あんだけ叱ったのにもう同じことするの?!ということもよくあります。
そこで負けずに、ダメなことはダメという姿勢は崩さず、繰り返し話していきます。
少しずつ、少しずつ。大人も根気よく話続け、気長に構えることが大切です。
ざっとまとめました。
対子どもだけではなく、大人同士でも通じる面はあると思っています。
(実際パートさん相手にも同じでした・・・)
また別な考え方で接している方も多くいると思います。
より良い方法があれば是非教えて頂きたいです。
はじめまして、暇な先生です
はじめまして
学童歴7年の暇な先生です。
産休に入り自分を振り返る時間が沢山出来たので、今まで「保育者」として子どもや保護者の方々と接してきた経験を綴っていきます。
これから自身が「保護者」になっていく中で、このブログが新しい視点や気づきになる切っ掛けになればいいなと思います。
こんな日々でした
思い返せば激動の毎日。
7年・・・あっという間でした。
学校終了に合わせて開設。部屋の準備やパートさんたちと打ち合わせ。
鐘がなるとドッとくる子どもたちの入室管理・連絡帳&予定確認、保護者に確認の連絡等々。
宿題を促しつつおやつの準備、外遊びの準備をガーっと行いつつ見守り。
あいだに起こる喧嘩を諫めつつパートさんの業務チェックをし、隙をみて連絡帳返信。
すぐに子どもたちの帰宅時間になるので送り出し。忘れ物があればダッシュで届ける(笑)
「子どもが好き」ただそれだけで学童保育の世界に飛び込み、
右も左も分からないまま子どもや保護者、学校や一緒に働く仲間達との日々が過ぎていきました。
元気いっぱいな子、優しい子、お茶目な子、いわゆるグレーゾーンの子、暴れてしまう子・・・本当に様々な子どもたちがいました。お陰で飽きませんでした(笑)
特に今の時期は夏休みが始まりますね。
学童では朝から晩まで子どもたちにつきっきりの生活をしていました。
(おうちの方にとっては長い長いお弁当期間の始まりです。本当にお疲れ様です。)
夏休みが終わるころには子どもたちの顔が少し大人になっていて、それから段々とお兄さんお姉さんになっていきます。彼らの成長を垣間見ることが出来て本当に幸せでした。
暇な先生が思うこと
学童で過ごした日々は宝物のようでした。
もちろん辛いことも多くありましたが、それ以上に楽しかったことの方が多いです。
また、この仕事を通して、自分自身を育てて貰ったように思います。保育の知識や技術だけではなく、一個人と向き合うことで多くの学びを得ることが出来ました。
子どもたちには沢山の世界があります。家庭、学校、友達、習い事etc...学童はそのうちの一つに過ぎません。学童は狭い狭い世界です。
そんな学童で過ごす中で、子どもたちが少しでも多くの経験や学びを得てくれたら嬉しいです。
学童の先生は通っている子どもたち1人1人が大好きです。
ふとした時に、先生はあなたが大好きで、大事に思っているということに気づいてくれたらいいなあと思っています。